自由在不自由中2010/07/19 21:28:59

丸山眞男集第三巻「福沢諭吉の哲学」より

 ・・・福沢における「自由」の具体的規定である。

 政治的絶対主義が価値判断の絶対主義と相伴うとすれば、政治権力者による価値基準の独占的所有が破れ、価値決定の源泉が多元的となるところ、そこに必ずや自由は発生するはずである。  「単一の説を守れば、其説の性質は仮令ひ純情善良なるも、之に由て決して自由の気を生ず可らず。自由の気風は唯多事争論の間に在て存するものと知るべし」(概略、巻之一)

 是と逆に一つの原理が、之と競争する他の原理の抵抗を受けることなく、無制限に自己を普遍化しうる場合には、価値がそこに向かって集中し、人間精神がその絶対価値の方へ偏倚するから、必然的に「惑溺」現象が起り、社会的停滞と権力の偏重が支配する。

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 自由と専制との抵抗闘争関係そのもののうちに自由があるのであって、自由の単一支配はもはや自由ではない。。ここに「自由は不自由の際に生ず」という福沢の第二の重要な命題が生ずる。  「抑も文明の自由は、他の自由を費して買う可きものに非ず。諸の権義を許し、諸の利益を得せしめ、諸の意見を容れ、諸の力を逞ふせしめ、彼我平均の間に存するのみ。或は自由は不自由の際に生ずと云ふも可なり」(概略、巻之五)