夏の終わり2015/10/08 14:47:42


横浜地方公聴会


護衛艦「いづも」、大桟橋に来航


ハコネフレンズ2015/10/19 10:55:49


久しぶりの箱根。
外輪山周遊を試みるも、長尾峠~丸岳~金時山~明神岳~明星岳にて
日没下山。数日後、明星岳~塔の峰~阿弥陀寺~塔の台へ下る。





心地よい風のなか、ハコネフレンズと三島までドライブ。

紅葉が始まり、薔薇が見頃のクレマチスの丘。
ヴァンジ彫刻庭園美術館、ベルナール・ビュフェ美術館をゆっくりと散策。

御殿場の金太郎そばに寄り、帰路に就く。



自分の強さを何で知るか2015/10/22 17:45:23

敗北で、である。

われわれは、みずからの弱さのせいで不成功だった場合、自分を軽蔑し、自分のその弱さを恥じる。ところが、負けはしても自分の方が強い場合には、われわれは自分の敗北を軽蔑し、自分の不運に恥を押しつける。われわれは、勝利や幸運を通して、自分の強さを知るだろうか?ほかならぬ勝利や幸運ほど、われわれに自分の最も深い弱さを教えてしまうものはない、ということを、いったい誰が知らないというのか?勝利のすぐあとで早くも、弱さゆえの歓喜のおののきによるかのように<俺が、これを?>という問いが、皮膚の上を走り過ぎてゆくのを感じたことのない者が、いるだろうか?

敗北に次ぐ敗北はこれとはちがう。つまり、その一連の敗北においてわれわれは、再起のあらゆるフェイント技術を学び、竜の血を浴びるように恥辱を浴びるのだ。名声であれ、酒であれ、金であれ、恋愛であれーーある者が何かにおいて強いという場合、この者はいかなる名誉心も、恥をさらすことに対するいかなる恐れも、そしてそもそも態度というものを知らない。客を前にしたいかなる悪徳ユダヤ商人でも、シャルピヨンを前にしたカサノーヴァほどには、執拗に迫れないものだ。こうしたカサノーヴァのような者たちは、自分の強さのうちに棲まっている。もっとも、特別でぞっとする棲まい方であって、それが、あらゆる強さの代価なのだ。

戦車のなかの生活、われわれがそんな物のなかに住むとなると、われわれは経験不足の無知野郎でしかも近づきがたく、あらゆる塹壕に落ち込み、あらゆる障害物を越えて突進してゆき、汚物を掘り返してしまい、大地を穢すことになる。だが、われわれがそのように汚れにまみれているときのみ、われわれは誰にも屈服させられはしないのである。

      (ベンヤミン・コレクション6 「短い影(Ⅰ)」より